コイン収集をはじめたのは・・・

私の母は私が幼い頃、内職をしていた。
刺繍の内職である、そのうちに腕が見込まれてか
市内にある、支部のようなところ(昔の平屋の小さな家)で
出来損ないの修正や初心者の指導をするようになった。



幼い私は幼稚園以外には祖母と過ごす日が多かったが
母の仕事場にも良く付いていった。


37年前の国鉄時代の切符、このあと年々値上がりしていきました。
  


そこには母と同じように技術の高い人たちがいて、内職者に出す記事や糸を組み合わせたり記事に白粉みないなもので模様をつけたりしていた。



そこの責任者のような少し年配の「先生」と呼ばれる女性がいたがいつも怖そうな顔をしていたがいまではやさしい人だったと思う。


他の人たちもみんな優しく、私は退屈しながらも一日そこで過ごすことも多かった。


楽しみは昼食と帰りの買い物と東京の駒込まで出来上がりの品物を届けにいくことであった。
当時東京まで大人片道240円の時代です。

色々な種類の切符がありました。
 
                
                  往復切符は半券式
             


東海道線で東京まで行くのにトンネルが1つ、大きな鉄橋が2つある事を知っていた。
そのうち何度も行っているので駅名まで読めるようになった。




ととと、そんな話ではなくコインの話ですよね

そこの職場で母の同僚の息子さんが現在のJTB(日本交通公社)に勤めていて
当時の海外旅行は団体旅行が主流で必ず添乗員が付いていきました。


            

その添乗員だった方が余った小銭をくれはじめたのがきっかけなのです。
ヨーロッパや東南アジア、南北アメリカなど世界各国のコインをいただきました。


それらは勿論まだ私は持っていますがこれがコイン収集の始まりだったのです。

この後、一時ブームは去り、中学生になって第二次マイブームがやってきて
大人になって、妻と出会い、その母が旧100円玉を沢山くれたことで再燃

第三次マイブームになって現在に至るわけです。



第二次マイブームでは
中学の頃にすでにコインショップで安い綺麗なコインを買いました。


第三次マイブーム
10年位前はオークションでの売り買いをして、稼いだお金で目的のコインを買うと!


今はその余裕もなく、時々大量のコインアルバムと未整理のコインを眺めるくらいでしょうか、果たしてくるのか第四次マイブーム!!

      

ちゃんと整理したコインアルバムや紙幣アルバムもあるんですよ

大体コインを見ればどこの国かはわかりますがアラビア語だけは未だに読めません・・・


PS:この方からもう一つ宝物をいただきました、それは期限切れの時刻表
   これで電車のダイヤや駅名を覚えることが出来たのです。



小さな出来事が意外とその後の人生を大きく変えることがある
それは種をまくことに似ている
まいてもすぐには芽が出なくても忘れた頃に芽を出すかもしれないって事です。


小さな頃の体験は大きくても小さくても大事ですよね。





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